「淳于瓊」の版間の差分

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なお、『三国志』魏書武帝紀の注に引く『曹瞞伝』は、淳于瓊の最期について異説を掲載している(『曹瞞伝』では「淳于仲簡」とされているが、この人物は明らかに淳于瓊に該当する)。烏巣の陣を落とされた淳于瓊は、鼻を削がれて生け捕りとされてしまう。連行されてきた淳于瓊に曹操が「なぜ君は敗北したのか」と聞くと、淳于瓊は「勝敗は天に委ねるものである。何を問うことがあるのか」と答えた。その潔さを認め、曹操は淳于瓊を帰服させようとしたが、先に帰服した許攸が「鏡を見る度に淳于瓊は我らに恨みを抱くでしょう」と讒言したため、斬首されたという。
 
烏巣の戦いの前に、沮授は淳于瓊を援護するため事前に[[蒋奇]]率いる別働隊を派遣し、曹操の奇襲に対応するよう進言していた。しかし袁紹はこれを受け入れず、後手に回る結果となったのである。こうして顔良・文醜に続き、袁紹は有望な軍指揮官を失った。
 
== 物語中の淳于瓊 ==