「花鳥諷詠」の版間の差分

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万象諷詠
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しかし、花鳥諷詠が花鳥風月に留まらず人事を含める、人事は自然に含まれる、という概念は誤解され、花鳥に人間が含まれていないから花鳥諷詠は人間境涯や社会的な句と相いれない、ないし花鳥諷詠は自然を愛でるだけの概念、という主張が俳壇で散見される。そのため、[[正岡子規]]から虚子に引き継がれた[[写生]]あるいは「[[客観写生]]」を肯定する俳人も「花鳥諷詠」には批判的な立場を取るものが多い。「花鳥諷詠」は「ホトトギス」派と、その一統の[[日本伝統俳句協会]]にしか通用しない理念、とする俳人もいる。ホトトギスが主張するように、花鳥諷詠を人間の営みを含めた森羅万象を詠む概念とすれば、客観写生、主観写生、他の技法も花鳥諷詠のための手段にすぎない。
 
[[水原秋櫻子]]は「花鳥諷詠」が、人事界を含めるというのならなにも花鳥諷詠という必要はない、それなら「万象諷詠」とすべきだと、痛烈に虚子を批判した。
 
虚子自身「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」(1954年)の句を残しているように、花鳥諷詠は「表題」と考えればわかりやすい。