「ユージン・オニール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
24行目:
その時朗読された作品が、オニールのデビュー作『カーディフを指して東へ』(Bound East for Cardiff)である。オニール本人もこの劇に出演した。英国のカーディフ港に向かう貨物船の船倉を舞台とする一幕劇。主人公の老水夫は死の床の中、人生に絶望している。主人公は見果てぬ夢を抱いたまま、カーディフに着く前に死に至る。オニール自らが船員だった経験を活かし、その生活を当時としては革新的なリアリズムの手法で提示しつつ、夢・希望・友情・孤独・絶望などについて描いている。この戯曲は同年に埠頭を改造した小劇場で上演され、大好評をもって観客に受け入れられた。
 
この成功を足がかりに、プロビンスタウン・プレイヤーズはオニールと共にニューヨークへ進出。[[グリニッジ・ヴィレッジ]]に劇場をつくり、オニール作の一幕劇を次々に発表し、劇団・劇作家共に注目を集めていった。その多くは、船員時代の経験に題材を取ったものだった。この活動は、後にオフ・ブロードウェイ運動の始まりの一つであるとみなされるようになった。この時期、交友仲間の一人である作家志望のアグネス・ボウルトンと再婚。
 
1920年、オニールにブロードウェイでの上演の機会が訪れた。三幕劇『地平線の彼方』(Beyond the Horizon) である。この戯曲はブロードウェイのモロスコ劇場で160回上演された。人生に失敗した主人公が夜明けと共に死を迎えるという暗い内容のリアリズム劇にもかかわらず、ブロードウェイで成功を収めたことは、当時としては特筆に値する。オニールはこの戯曲で[[ピューリッツァー賞]]を受賞した。