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m [​[六甲山]​] → '''六甲山''' ∵Removed self-link: Check Wikipedia #48
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六甲山の大部分は、約1億年前([[中生代]][[白亜紀]])に地下深くで生まれた[[花崗岩]]でできている。[[第四紀]]、百万年前以後の[[六甲変動]]と呼ばれる地殻変動によって最高部が 900 [[メートル|m]] 以上に至るまで隆起し、現在も変動を続けている。それによって生じた複数の断層が北東から南西に向かって主稜線と平行に走っている。いずれも北西側が東に向かって動く右横ずれ断層であり、横ずれが起こると同時に北西側が高くなる傾向がある。これらの断層は[[阪神淡路大震災]]の[[震源]]断層である[[野島断層]]などとともに[[六甲-淡路島断層帯]]を構成している<ref>地震調査研究推進本部 [http://www.jishin.go.jp/main/chousa/05jan_rokko/index.htm 六甲・淡路島断層帯の長期評価について]、2005/1/12</ref>。
 
[[1932年]](昭和7年)、[[京都大学]]助教授であった[[上治寅治郎]]により[[丸山断層]]が発見されるまでは、六甲山の成り立ちは、[[地塁]]説(六甲山地塁説)で説明されてきており定説となっていた。これは、六甲山の高い中央部を除いた南北の両側が、陥没して低くなり、北側に落ちて谷状の凹地になったのが、現在の[[箕谷]]から花山、大池、[[有馬郡|有馬]]、さらに[[生瀬]]、[[宝塚市|宝塚]]にいたる低地帯であり、南側に落ちてできたのが現在の神戸の[[市街地]]であり、ずり落ちずに残った高地が現在の[['''六甲山]]'''であるという考えである。ところが、丸山衝上断層の発見により、地塁説とは全く逆の、[[地殻]]にかかる側方からの圧力により、基盤が上向きに隆起し六甲山を形成したという説が現在では主流となった。
 
最高峰のすぐ南から神戸市内に向かって南西に一直線に流れる[[住吉川 (兵庫県)|住吉川]]の谷が、'''五助橋断層'''(ごすけばしだんそう)に相当する。芦屋ロックガーデンなどの断崖の麓にあるのが'''芦屋断層'''、その東側で甲山の乗っている北山高原を持ち上げたのが'''甲陽断層'''と呼ばれている。(断層でできた崖は長い年月の間に侵食されているので、今見える崖と断層の位置はずれている場合がある)これらの断層によって、南東の西宮市側からは幅広い階段状にわかれて隆起してみえる。なお、六甲山を東西に縦断するように貫かれた[[山陽新幹線]]の[[六甲トンネル]]工事では多くの[[断層#断層破砕帯|断層破砕帯]]を貫通させることとなり大変な難工事であった。