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蘇我入鹿の邸宅が発見されたと断定した記述があるが、断定された事実はないため、適切な記述に変更しました。
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== 備考 ==
* [[2005年]][[11月13日]]、[[奈良県]]で『の甘樫丘地区にて、建物跡や塀の跡、焼けて硬化した土の層などを含む7世紀の遺構(甘樫丘東麓遺跡)が発見され、[[日本書紀]]の記述通りを裏付ける[[蘇我入鹿]]の邸宅である可能性もあるとして現在も発掘作業進められているが、現在発見されている建物跡は蘇我入鹿の邸宅としてはあまりに規模が小さすぎるため、まだ断定はされていない。しかしながら、今後の発掘しだい次第では『天皇記』・『国記』の一部が出土す発見される可能性るとされている。
* 研究者によれば、『日本書紀』を編纂する時に『大王記』とあったのを『天皇記』と書き改めたとも考えられ、原資料の名称については議論の余地があるとしている<!-- 直木孝次郎 古代を語る1 『古代の日本』 2008年 p.120より -->。