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'''合従連衡'''(がっしょうれんこう)は、[[中国]]の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の外交戦略である合従策および連衡策を併せていうもひとつ。転じて、状況に応じて各勢力が結び、また離れるさまを示す[[故事成語]]となった。
 
==概要==
春秋戦国時代、戦国七雄のうち強大になりつつあった[[秦]]と、周辺六ヶ国(韓、魏、趙、燕、楚、斉)の外交政策として、いずれも[[縦横家]]によって考えられた。
 
当初、六国は相互に結び、協力して秦の圧力を防ごうとした(合従)。これに対し、秦は個別に同盟関係をもちかけて連合六国の協力関係を分断すること(連衡によって合従策を封じた。こうして、最終的に合従策に参加した各国はすべて秦によって亡ぼされ、秦による天下統一が実現することとなった。
 
現代の[[国際関係論]]に当てはめれば、合従は「[[バランシング]]」、連衡は「[[バンドワゴニング]]」と全く同じものである<ref>吉田亮太『春秋戦国政治外交史』三恵社、2014年、P88-101</ref>。