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|写真のコメント =
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = [[インディアナ州]]{{仮リンク|イーストシカゴ|en|East Chicago, Indiana}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1967|5|31}}
|没年月日 =
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|守備位置 = [[外野手]]
|プロ入り年度 = 1988年
|ドラフト順位 = ドラフト17巡目(全体428位)
|初出場 = 1991年9月14日
|最終出場 = 2007年9月29日
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|選出方法 =
}}
'''ケニス・ロフトン'''('''Kenneth Lofton''', [[1967年]][[5月31日]] - )は、
== 経歴 ==
=== プロ入り〜メジャーデビュー ===
[[アリゾナ大学]]時代は[[バスケットボール]]で奨学金を受け、3年まで大学の[[野球]]チームには参加していなかった。
[[1988年のMLBドラフト]]で[[ヒューストン・アストロズ]]から17巡目
=== クリーブランド・インディアンズ ===
移籍1年目の{{by|1992年}}は開幕からレギュラーに定着し、[[5月7日]]に[[マイク・キャンベル (投手)|マイク・キャンベル]]から初[[本塁打]]を記録。[[:en:List of Cleveland Indians team records|球団記録]]となる66盗塁を記録し<ref name="brcle">{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/teams/CLE/leaders_bat.shtml|title=Cleveland Indians Batting Leaders - Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>、[[最多盗塁 (MLB)|最多盗塁]]のタイトルを獲得。[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)#ルーキー資格|ルーキー資格]]を持つ選手としてはリーグ史上[[ジョージ・ケース]]以来42年ぶりの快挙となった。[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]の投票では[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]の[[パット・リスタッチ]]に次ぐ2位に入っ
{{by|1993年}}はリーグ4位の打率.325・70盗塁を記録し、2年連続で最多盗塁を獲得すると共に自身の球団記録を更新した<ref name="brcle"/>。初の[[ゴールドグラブ賞]]を受賞し、[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票で15位に入った。
===突然のトレード〜再び古巣へ===▼
{{by|1997年}}に球団から5年総額4,400万ドルで契約延長を打診されるが拒否<ref name="bl1967">{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Kenny_Lofton_1967|title=The Ballplayers - Kenny Lofton | BaseballLibrary.com |language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>。[[3月25日]]に[[デビッド・ジャスティス]]、[[マーキス・グリッソム]]との交換トレードで、[[アラン・エンブリー]]と共に[[アトランタ・ブレーブス]]に移籍。故障で40試合を欠場するが打率.333を記録。しかし前年まで5年連続で50以上を記録した盗塁は27に激減、盗塁死もリーグ最多の20と精彩を欠いた。故障の影響もあったが、走塁の方針がインディアンズとは異なり、思うように走ることができなかった<ref>「30球団マンスリー・リポート クリーブランド・インディアンズ」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1999年6月号、[[ベースボールマガジン]]社、1999年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-6、91項。</ref>。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となり、[[12月8日]]に古巣インディアンズと4年契約を結び、1年での復帰となった。▼
{{by|1994年}}は[[1994年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初めて選出される。[[1994年から1995年のMLBストライキ|ストライキ]]の為シーズンが打ち切られたが、自己最高の打率.349、リーグ最多の160安打・60盗塁を記録し、3年連続となる最多盗塁を獲得。MVPの投票では自己最高の4位に入った。
{{by|1995年}}は2年連続で[[1995年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出され、初の先発出場。第1打席で[[ナショナルリーグ]][[先発投手|先発]]の[[野茂英雄]]に[[三振]]を喫した。途中故障による離脱もあったが、打率.310、キャリアハイの13三塁打・54盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。[[シアトル・マリナーズ]]との[[1995年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では打率.458・5盗塁の活躍を見せ、41年ぶりのリーグ優勝を果たす。[[アトランタ・ブレーブス]]との[[1995年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]ではシリーズ史上2位(1位と1個差)の6盗塁を記録したが、2勝4敗で敗退した。
===流浪のシーズン===▼
{{by|1996年}}は自己最高の210安打・132[[得点 (野球)|得点]]、自身の球団記録を更新する75盗塁を記録し、5年連続で盗塁王を獲得。2年連続の地区優勝に貢献した。[[ボルティモア・オリオールズ]]との[[1996年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では5盗塁を記録したが打率.167に終わり、チームも1勝3敗で敗退した。
▲=== 突然のトレード〜再び古巣へ ===
▲{{by|1997年}}に球団から5年総額
{{by|1998年}}は[[リッキー・ヘンダーソン]]に次ぐリーグ2位の54盗塁を記録し、復活を果たす<ref name="bl1967"/>。
{{by|1999年}}は[[ハムストリング]]の故障により120試合の出場に留まるが、5回目のシーズン100得点を達成。一方で、レギュラー定着以降最低の25盗塁に終わった。[[ボストン・レッドソックス]]との[[1999年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]第5戦で左肩などを負傷しシーズンを終えた。
肩の故障からの復帰は{{by|2000年}}のオールスターゲーム以降と思われたが、驚異的な回復で開幕スタメンに名を連ねた<ref name="bl1967"/>。同年はレギュラー定着後ワーストの打率.278だった一方で、自己最高の15本塁打・73打点を記録。[[8月15日]]から[[9月3日]]にかけて{{仮リンク|レッド・ロルフ|en|Red Rolfe}}のメジャー記録に並ぶ18試合連続得点を記録した<ref name="bl1967"/>。
{{by|2001年}}は打率.261・16盗塁に終わる。4年契約を満了し、フリーエージェントとなった。
▲=== 流浪のシーズン ===
{{スポーツ選手の出典明記|エピソード|section=1|date=2008年6月12日 (木) 11:33 (UTC)}}
{{by|2002年}}[[2月1日]]に[[シカゴ・ホワイトソックス]]と契約。[[7月28日]]に[[フェリックス・ディアス]]、マイナー1選手との交換トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]に移籍。チームは[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]から[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]を勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たした。[[アナハイム・エンゼルス]]との[[2002年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では全7試合に出場したが、3勝4敗で惜しくも敗退した。オフにフリーエージェントとなる。
{{by|2003年}}[[3月14日]]、[[ピッツバーグ・パイレーツ]]と契約。[[7月23日]]に[[ホゼ・ヘルナンデス]]、マイナー1選手、[[後日発表選手|後日発表]]の1選手との交換トレードで、[[アラミス・ラミレス]]と共に[[シカゴ・カブス]]へ移籍。移籍後は打率.327と活躍し、チームの14年ぶりの地区優勝に貢献。[[フロリダ・マーリンズ]]との[[2003年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では、58年ぶりのワールドシリーズ進出まで
{{by|2004年}}[[1月6日]]に[[ニューヨーク・ヤンキース]]と契約。控えに回った上に下位
{{by|2005年}}は、[[規定打席]]には及ばなかったものの打率.335・22盗塁を記録した。[[11月2日]]にフリーエージェントとなり、[[12月20日]]に[[ロサンゼルス・ドジャース]]と契約。
[[ファイル:Monster Seats 6.30.07 103.jpg|thumb|right|200px|2007年、レンジャーズ在籍時]]
{{by|2006年}}は打率.301・12三塁打・32盗塁を記録し、盗塁成功率86.4%と健在ぶりを示した、[[12月12日]]に[[テキサス・レンジャーズ]]と契約。
{{by|2007年}}[[4月3日]]の[[開幕戦]]で2盗塁を記録し、
=== 引退後 ===
{{by|2016年}}、インディアンズにとって19年ぶりとなった[[2016年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]で、本拠地[[プログレッシブ・フィールド]]で行われた初戦の試合前の[[始球式]]を務めた<ref>{{Cite web|url=http://m.mlb.com/news/article/207145650/kenny-lofton-throws-first-pitch-before-game-1/|title=Lofton's first pitch gets World Series underway|work=MLB.com|language=英語|date=2016-10-25|accessdate=2016-11-03}}</ref>。
== 選手としての特徴 ==
▲[[2010年]][[1月27日]]、インディアンズの殿堂入りが球団から発表された。
5度の[[最多盗塁 (MLB)|最多盗塁]]、歴代15位の通算622[[盗塁]](成功率79.5%)、4度の[[ゴールドグラブ賞]]、高い出塁率を記録し、キャリアの大半で1番・[[中堅手]]として出場した、理想的なリードオフマンで、1990年代のインディアンズを支えた。初回先頭打者本塁打も29本記録した。外野守備では俊足を生かした広い守備範囲が注目されがちだが、[[補殺]]もリーグ1位が4回(中堅手として)、通算で142回記録するなど鉄壁。
所属したチームを数多くの優勝に導いており、[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]通算で95試合(歴代8位)に出場し、65[[得点 (野球)|得点]](同4位)、97[[安打]](同5位タイ、[[打率]].247)、12[[二塁打]]、4[[三塁打]](同4位タイ)、7本塁打、34[[打点]]、34盗塁(同1位)などを記録している。
==獲得タイトル・表彰・記録==▼
*最多盗塁 5回:1992年 - 1996年▼
*ゴールドグラブ賞 4回:1993年 - 1996年▼
*[[MLBオールスターゲーム]]選出 6回:1994年 - 1999年▼
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=== 年度別打撃成績 ===
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
▲=== 獲得タイトル・表彰・記録 ===
* {{仮リンク|週間MVP|en|Major League Baseball Player of the Week Award}}:3回(1994年6月26日、1997年4月20日、2000年9月3日)
* [[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]通算[[盗塁]]数:34(歴代1位、[[ギネス世界記録]]認定)
* 通算盗塁数:622([[:en:List of Major League Baseball career stolen bases leaders|歴代15位]])
* 通算盗塁数(インディアンズ在籍時):450([[:en:List of Cleveland Indians team records|インディアンズ球団記録]])
* シーズン最多盗塁:75(インディアンズ球団記録)
== 脚注 ==
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