「数学の哲学」の版間の差分
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[[西洋哲学]]と[[東洋哲学]]の両方に、数学的哲学の[[伝統]]がある。西洋の数学の哲学は、数学的対象の[[存在論|存在論的地位]]を研究した[[プラトン]]と、[[論理学]]や[[無限]](実無限と可能無限)に関する諸問題を研究した[[アリストテレス]]にまで遡る。数学に関する[[ギリシア哲学]]は、彼らの[[幾何学]]の研究の強い影響の下にあった。かつてギリシア人は、1は[[数]]ではなく、むしろ任意の長さの単位であるという意見を持っていた。数は、多<ref name="多">単位がいくつあるかということ。</ref>であると定義された。それゆえ、例えば、3は、単位長の多<ref name="多"/>を表しており、本当のいみの数では決してなかった。また同様の理由で、2は数ではなく、1対(つい)という基本概念であるとする議論が行われた。この理解は、「直線・辺・コンパス」という、たぶんに幾何学的なギリシアの視点に由来している。その視点とは、幾何学的問題において描かれたいくつかの線が最初に描いた任意の長さの線との比で測定されるのと同様に、数からなる線上に置かれたそれぞれの数は、任意の初めの「数」つまり1との比で測定される、というものである。これらの初期のギリシアの数の概念は、後になって、2の[[平方根]]が[[無理数]]であるという発見によって、打ち倒された。[[ピ
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==== プラトニズム<!-- Platonism --> ====
実在論の一形態としてのプラトニズムは、数学的実体が抽象的であり、空間的時間的ないし因果的な性質をもたず、永遠不変のものであると考えている。数というものについて、多くの人々がこのような見解を抱いているとしばしば主張される。プラトニズムという用語が使われる理由は、このような観点が、不変かつ究極的な実在に対して日常的世界がその不完全な近似であるに過ぎないとする、[[プラトン]]の(「プラトンの洞窟」のたとえで表される)「イデア界」の教説とパラレルであるように見えることに由来する。「プラトンの洞窟」とか「プラトニズム」という言い方には表面的というにとどまらない深い意味がある。なぜなら、古代ギリシアでは[[ピ
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* {{Cite book|和書|author=[[伊藤邦武]]|chapter=数学の哲学への新たな関心|title=プラグマティズム入門|series=ちくま新書|year=2016|pages=220-221|isbn=9784480068705}}
* {{Cite book|和書|author=[[岡本賢吾]]|date=1998-03-18|title=岩波 哲学・思想辞典|chapter=無限|publisher=岩波書店|isbn=4-00-080089-2|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/2/0800890.html|ref={{Harvid|岡本|1998}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[萩野弘之]]|date=1998-03-18|title=岩波 哲学・思想辞典|chapter=ピ
* {{Cite book|和書|editor=[[日本数学会]] 編|date=2007-03-15|title=岩波 数学辞典|edition=第4版|chapter=数学基礎論|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-080309-0|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/3/0803090.html|ref={{Harvid|日本数学会|2007}}}}
* {{cite web
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