「なぜ私は私なのか」の版間の差分

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世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ[[私]]は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?)
 
この問いには色々な名称がある。たとえば「'''私の問題'''(わたくしの-)」、これは日本の哲学者[[永井均]]が使用する[[山括弧]]付きの〈私〉という表記法を使って「'''〈私〉の問題'''(やまかっこわたくしのやまかっことじ-)」と表記されることもある。またオーストリラリアの哲学者[[デイヴィッド・チャーマーズ]]が提出した「[[意識の難問]](The Hard Problem of Consciousness)」という概念と対比させて「'''意識の超難問'''(The Harder Problem of Consciousness)」<ref>[[#mr2002|三浦俊彦 (2002)]]</ref><ref>[[#rb2007|Tim Roberts (2007)]]</ref>と言われることもある。また、問いの内容が「なぜ今、ここなのか?」というものであることから、「'''今・ここの問い'''(いま・ここの-)」と言われることもある。
 
日本のいくらかの心理学者たちは、この問いを心理学的な観点から研究している。といっても哲学者たちがしているように思索を通して問いを論じている、というわけではなく、この問いを発する人間の心理状態について、[[アンケート]]や聞き取り調査などを通じて統計的・科学的に調査・分析する、という形で研究を行っている。こうした心理学的な研究の文脈の中においては、「なぜ私は私か?」といった問いを発する心理状態・経験のことは「'''自我体験'''(Ego experience)」と呼ばれている<ref>[[#wt2004|渡辺恒夫 (2004)]]</ref><ref>[[#am2011|天谷祐子 (2011)]]</ref>。