「火焔型土器」の版間の差分

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[[File:Kaen type vessel of Sasayama-iseki.jpg|thumb|250px|深鉢形土器(火焔型土器) [[新潟県]][[十日町市]][[笹山遺跡]]出土(十日町市博物館蔵 国宝)]]
[[File:Jomon Vessel with Flame-like Ornamentation, attributed provenance Umataka, Nagaoka-shi, Niigata, Jomon period, 3000-2000 BC - Tokyo National Museum - DSC05620.JPG|right|250px|thumb|深鉢形土器(火焔型土器) 伝新潟県長岡市馬高出土。把手部分に典型的な鶏頭冠形が見える。([[東京国立博物館]]蔵)<ref>この画像の土器は、「新潟県馬高遺跡出土品」として重要文化財に指定されているものとは別個体で、「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されているものである(列品番号J - 39036)。</ref>]]
'''火焔土器'''(かえんどき)は[[縄文時代]]中期を代表する[[縄文土器]]の一種で、燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す通称名。火焔型土器とも呼ばれる。装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。初めて発見された[[馬高遺跡]]を[[標式遺跡]]として馬高式とされるものの一部が該当する。発掘時の愛称がそのまま通称として用いられている。ただし、考古学分野、特に土器型式の研究においては、「馬高式」の名が用いられる。
 
この土器様式に系統的に先行する様式は不明瞭といわれている。つまり、この様式が突然創造されたという奇妙さがある<ref>小林達雄「勝坂式土器様式圏と火炎土器様式圏の対立」208頁(佐原真 ウエルナー・シュタインハウス監修 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所編集『日本の考古学』上巻 学生社 [[2007年]]4月)</ref>。しかし、この土器の祖型は北陸地方の新保・新崎式土器、あるいは東北地方南部の[[大木式土器]]などの影響を受けてできあったとする考えもある<ref>相原精次・三橋浩『東北古墳探訪』彩流社 [[2009年]] 7ページ</ref>。