「アメリゴ・ヴェスプッチ」の版間の差分

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ベラルディ商会がセビーリャにおけるメディチ銀行代理店となったので、アメリゴは1491年に再び[[セビリア]]に赴く。ここでベラルディ商会に入り、メディチ家の事業を監督することになった。
 
スペインのカトリック国王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]]が[[西インド]]探検航海を企画し、参加要請を受けたアメリゴ・ヴェスプッチは43歳にして初航海に出る。1497年から1498年にかけて[[カリブ海]]沿岸を探検した。1499年から1500年の第二回航海ではカリブ海から南下して[[ブラジル]]北岸まで探検を行った。
 
この頃1500年[[カブラル]]が、ポルトガル王の命によって[[喜望峰]]を超えてインドに向かう途上で、南緯16度52分の地点で[[ブラジル]]を発見した。ポルトガルは[[トルデシリャス条約]]によって、この領土を主張した。ポルトガル王は、発見された土地が単なる島なのか、あるいはスペインが既にその北側を探検していた大陸の一部なのか知ることを望んでいた。[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]はこの探検隊にブラジル北岸の探検経験をもつアメリゴ・ヴェスプッチを抜擢し、[[セビリア]]から呼び寄せる。
[[ファイル:Amerigo Vespucci.jpg|left|180px|アメリゴ・ヴェスプッチ]]
1501年から1502年にかけた第三回航海で南米大陸東岸に沿って南下した。あまりの寒さと暴風雨の厳しさに耐えかね引き返さざるを得なかったが[[南緯50度線|南緯50度]]まで到達することができた。当初ヴェスプッチに指揮権は無く、ゴンサロ・コエーリョ (Gonçalo Coelho) の指揮下にあったが、最終的にヴェスプッチが責任者となった。