「和田夏十」の版間の差分

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[[三島由紀夫]]の『[[金閣寺 (小説)|金閣寺]]』を映画化するにあたっては、主人公の内面に迫ってあまりにも完成度が高い原作を脚色するのは無理と判断、三島から創作ノートを借りてこれをもとにオリジナル脚本『[[炎上 (映画)|炎上]]』(1958年) を書き上げた。その一方で、脚本のないドラマである[[前東京オリンピック|オリンピック]]のためには緻密な脚本を書き、これをもとに “記録映画”『[[東京オリンピック (映画)|東京オリンピック]]』(1965年)を撮ったが、その手法は「芸術か記録か」という論争を引き起こすまでになった。
 
和田が長年首を縦に振らなかった文学作品のひとつに[[谷崎潤一郎]]の『[[細雪]]』がある。大阪・船場の旧家・蒔岡家の四姉妹を中心に昭和初期の関西富裕階級を描いた上中下巻929ページからなる大作だが、5年間の歳月が流れる間に数々の事件が起るものの、それらを繋ぐ筋書きらしいものがほとんどないという、脚本家泣かせの作品だからである。市川は20年以上にわたってこの『細雪』の映画化を望んでいたが、和田は「やりたい気持ちはわかるけど、膨大な長編を撮るのは無謀。だいいちこれまで2度も映画化されたけど、どれも成功しなかったわよ」と反対していた。しかし闘病生活が続いて死期を悟ったのか、ある日和田は市川に「5年間の出来事を1年の四季の移り変わりの中に凝縮する形で脚本を書いたらいいわ」とアドバイス。それをもとに市川の脚本・監督できあがった『[[細雪 (1983年の映画)|細雪]]』(1983年)は、市川の代表的な作品のひとつとなった。市川は細雪の製作中、病床の和田に、ビデオに起こした本編映像を一部ではあるが見せていた。和田はその完成を見ることなくこの世を去っている。これが彼女の事実上の遺作となった。
 
和田の死後、市川の願いもあって、『和田夏十の本』が刊行された。 和田が残した数多くの脚本の中から代表作の『黒い十人の女』と『炎上』を収録し、これに未発表のエッセイ・創作・詩・評論などを加えた作品集で、友人だった詩人の[[谷川俊太郎]]が作品の選択と序文の執筆を行っている。