「伊豆大島」の版間の差分

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=== 中世 ===
伊豆諸島は伊豆国に属しており、[[中世]]に入ると伊豆大島も伊豆国の[[知行国主]]の支配を受けた。また[[北条氏]]は伊豆[[守護職]]を[[世襲]]していたが、北条氏の滅亡にともない終結した。『[[太平記]]』には[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]初期の争乱で[[陸奥国|奥州]]へ向かった兵船が嵐のため伊豆大島に漂着したという記述があるが、史実か定かではない。
 
[[応永]]3年[[7月23日_(旧暦)|7月23日]]([[1396年]][[9月3日]])には伊豆守護・[[上杉憲定]]に伊豆大島などの[[伊豆諸島]]を含む伊豆国の所領が交付されたという記録がある。この所領は前年七月二四日に父・[[上杉憲方]]の遺領として安堵されたものだった。また、『八丈島年代記』によると金川(現・[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]])の領主・奥山宗林が[[八丈島]]、[[小島]]{{要曖昧さ回避|date=2016年1月}}、[[青ヶ島]]、[[三宅島]]、[[御蔵島]]の代官となったとされるが、記述のない伊豆大島は別の代官が任命されていたか不明である。この後、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]になると[[後北条氏]]が伊豆諸島全体を支配するようになった。なお、[[天文 (元号)|天文]]21年[[9月19日]]([[1552年]][[10月17日]])の噴火の際に鎮静を願った祈祷札が今も元町の薬師堂にある。