「ケンブリッジ公」の版間の差分

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[[1801年]]には、[[グレートブリテン王国|連合王国]]の王族の爵位として、[[ジョージ3世]]の七男である[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]]にケンブリッジ公の爵位が与えられた。彼の息子の[[ジョージ (ケンブリッジ公)|ジョージ]]の死後、法的な相続者が存在しなかった(ジョージには男児は存在したが王室結婚令に背いていた)ことから[[1904年]]に爵位は断絶することとなった。
 
[[1917年]]、[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]]の外孫で、[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の王妃[[メアリー・オブ・テック|メアリー]]の弟である[[テック公]][[アドルファス・ケンブリッジ (初代ケンブリッジ侯爵)|アドルファス]]が'''ケンブリッジ侯'''に叙爵されたが、[[第一次世界大戦]]中に連合王国の敵国であったドイツの爵位であるテック公を放棄した代わりに与えられたものであった。この爵位は、[[1981年]]にアドルファスの息子の[[:w:George Cambridge, 2nd Marquess of Cambridge|ジョージ]]が男児を残さないまま亡くなったことから断絶した。
 
[[1999年]]、[[エリザベス2世]]の三男である[[エドワード (ウェセックス伯爵)|エドワード]]が結婚した際、有識者達はケンブリッジ公か[[サセックス公]]の爵位がふさわしいとしてエドワードに提案したが、エドワードは代わりに[[ウェセックス伯爵|ウェセックス伯]]の爵位を創設した。その後、英国の国内情報誌「[[w:The_Sunday_Telegraph|ザ・サンデーテレグラフ]]」によって、本来はエドワードが結婚後にケンブリッジ公へ叙爵される筈だったことが報道された。但し、別の報道によれば[[1998年]]に公開された「[[恋におちたシェイクスピア]]」を視聴後、[[コリン・ファース]]によって演じられたウェセックス卿にエドワードが憧憬を抱き、ウェセックス伯の叙爵をエリザベス2世へ求めたとされている<ref>{{cite web |url= http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/royal-wedding/8196402/Royal-wedding-Prince-William-asks-the-Queen-not-to-make-him-a-duke.html|title= Royal wedding: Prince William asks the Queen not to make him a duke|author= Richard Eden|date= 12 December 2010|work= The Telegraph|publisher= |accessdate=12 December 2010}}</ref>。また、エドワードの父フィリップが有する[[エディンバラ公]]位が、長兄チャールズが王位を継承する立場にあり、次兄アンドルーが王の次男としてヨーク公位を既に授かっていることから、将来的にエドワードに授けられる予定となっており、これも伯爵位が授けられた背景にある。
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== ケンブリッジ侯爵(1917年) ==
*[[アドルファス・ケンブリッジ (初代ケンブリッジ侯爵)|アドルファス・ケンブリッジ]] (1868年 – 1927年) - アドルファス王子の娘の息子。彼は[[ジョージ5世]]が、[[第一次世界大戦]]の時に、英国王室成員とドイツ系英国貴族のドイツの称号を放棄することになった際に、放棄したドイツの称号の代わりにケンブリッジ侯爵に叙せられた。
*[[:w:George Cambridge, 2nd Marquess of Cambridge|ジョージ・ケンブリッジ]](1895年 - 1981年) - 初代ケンブリッジ侯の唯一の息子である。男子を残さず死去したため、彼をもってケンブリッジ侯爵家は断絶した。