「監督代行」の版間の差分

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* 監督となるべき者が不在の場合(ライセンス保持者がいないなど)
 
また、成績が好転しない場合などは、監督代行にした指導者を解任して、さらに別の指導者を監督代行の代行」に就任させる場合もある。日本プロ野球に於いては以下の4ケースが存在する。
* [[加藤喜作]](南海軍、1942年に[[三谷八郎]]の退任に伴い監督代行に就任した[[岩本義行]]が監督代行を退任した為に「監督代行の代行」に就任)
* [[宮崎剛 (野球)|宮崎剛]](大洋ホエールズ、1972年に[[別当薫]]の休養に伴い監督代行に就任した[[青田昇]]が途中で体調を崩して休養した為に「監督代行の代行」に就任)
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なお、監督代行が試合開始時から指揮を取った試合は、代行者に監督としての成績が記録される。
 
[[野球日本代表]]では[[長嶋茂雄]]監督が脳梗塞で倒れたため、[[中畑清]]ヘッドコーチが代行として[[アテネオリンピック (2004年) における野球競技|アテネオリンピック]]にて指揮を執った(登録上は中畑が正式に監督)
 
[[日本の高校野球]]においては、[[PL学園中学校・高等学校|PL学園高等学校]]の前任監督が2013年に不祥事のため退任した後、後任が決まらず野球未経験だった当時の校長[[正井一真]]を監督登録したが、実質的な指揮は控え選手が執ったという事例があった。
 
Jリーグでは「監督代行」としては1ないし数試合指揮を執った後、正式に監督に就任するケースもある([[アントニオ・デラクルス]]、[[中田仁司]]、[[水沼貴史]]、[[安達亮]])。
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=== シーズン終了後の扱い ===
プロ野球では監督解任・辞任に伴って監督代行に就任した指導者は基本的にシーズンが終わると退任する場合が多いが、近年は後述のとおりそのまま正規の監督に就任する指導者も増えている。以下はその人物。
* [[藤村富美男]](大阪タイガース、1955年に[[岸一郎]]の退任により監督代行就任→翌1956年に正規に監督就任)
* [[加藤春雄]](近鉄パールス、1957年に[[芥田武夫]]の退任により監督代行就任→翌1958年に正規に監督就任)
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* [[土橋正幸]](ヤクルトスワローズ、1984年に[[武上四郎]]・[[中西太]]の退任により監督代行就任→翌1985年に正規に監督就任)
* [[藤田平]](阪神タイガース、1995年に[[中村勝広]]の退任により監督代行就任→翌1996年に正規に監督就任)
* [[大石大二郎]](オリックス・バファローズ、2008年に[[テリー・コリンズ]]の退任により監督代行就任→翌200820098月2日より正規に監督就任)
* [[小川淳司]](東京ヤクルトスワローズ、2010年に[[高田繁]]の退任により監督代行就任→翌2011年に正規に監督就任)
* [[森脇浩司]](オリックス・バファローズ、2012年に[[岡田彰布]]の退任により監督代行就任→翌2013年に正規に監督就任)