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[[青州]][[黄巾賊]]が兗州に侵入すると、直ちに討伐しようとする劉岱に自重を勧めたが、劉岱はこれを聞かずに黄巾賊と戦い戦死した。[[陳宮]]は曹操を兗州[[牧]]に推戴するため、兗州の別駕従事や治中従事を説得した。鮑信らはその意見に賛同し、曹操を兗州牧に迎えた。
 
初平3年(192年)、曹操と共に青州黄巾軍の残党討伐に向かった。しかし作戦のため曹操と共に下見に出ていた最中、敵軍の不意打ちに遭ってしまった。軍勢が到着していなかったため白兵戦となったが、鮑信は必死に戦い曹操を救出した。このため曹操が敵の包囲を破って脱出できたが、鮑信は戦死してしまった、享年41。曹操は鮑信の死を悲しみ、遺体を捜させたが見つけられなかった。
 
将兵に施しを良くしたため、死後に財産も残らなかった。