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世界三大悪妻の他に、その他、歴史上では以下のような女性が悪妻と言われている。しかしながら、ここでも悪妻の基準が不明瞭であり、世界三大悪妻同様、後世に悪妻であったという逸話が作られたりなどしたと思われ、悪妻としての信憑性に疑問が残る女性達もいる。北条政子・日野富子などもある意味では実務能力に長けた有能な妻という見方もできるように思われる。事実、北条政子はそのように解釈する者も少なくない。このようなことを総括すると、東洋での場合は、悪妻とは権力欲が強い、嫉妬深い、自己主張が強く、頭脳・体力に優れ、夫に従順でないなどが基準になっているようである。また、日本史の場合、三条の方・築山殿のように、嫡子が家督を継承できないと、その生母が悪妻と考えられやすい面がある。
 
ただし、これらには無視できない例外もかなりある。例えば[[巴御前]]([[木曽義仲]]の妻)は男勝りで膂力に優れていたにも関わらず、良妻とされる。また、[[帰蝶]]([[織田信長]]の正室。[[濃姫]]とも呼ばれる)は、信長の嫡男([[織田信忠]])を産んでいないにも関わらず良妻と言われることがある。<br>
こちらの評価は夫や恋人といった男性に対して健気である、献身的である、というところからきているとも思われる。上記にある悪妻の条件の中の性格に関するもの(権力欲が強い、嫉妬深い、自己主張が強い、夫に従順でない)の逆であることであろう。
 
悪妻と言われることの多い女性を再評価することは純粋な学問としての側面だけでなく、[[フェミニズム]]の観点から行われることもある。そのため、悪妻とされていた人物が、実像からかけ離れた解釈をされることも少なくない。女流作家や女性史家によって表現される北条政子や日野富子などが、過大評価されることが多いのはそのためであり、かえって歴史認識を誤らせているとの指摘もある。
もちろん、従来からの男性からの視点も偏っているといえるので、その調整点も必要であろう。
 
いずれにせよ、後世に創作された部分が多く、悪妻とされる人物の真相には不明なことが多い。