「交響曲第4番 (メンデルスゾーン)」の版間の差分

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#しかしメンデルスゾーンはフィルハーモニック協会に改訂版を送ることはしなかった。1840年の秋から翌年春にかけては協会側の「第1稿を演奏するな、と言っておいて送ってくれないのはどういうことだ」という抗議に対しメンデルスゾーンが「公式に約束した覚えはない」という手紙が送られるなどの険悪なやりとり(最終的に協会側がコミュニケーション不足だったと謝罪)があった記録が残っている。
#1840年と1842年にメンデルスゾーンは演奏会のため渡英しているが、おそらくその際に協会から自筆スコアは戻ってきた。しかし1847年に亡くなるまで、メンデルスゾーンがこの曲の改訂を進めた確実な記録はない。
#メンデルスゾーンの死を悼んだ[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の命で、フィルハーモニック協会は1848年3月にこの曲を再演した。ただその際に使われた手書きスコア(パート譜から再現したらしい)は現存しているが、メンデルスゾーンの自筆譜とは微妙に違っている。
#1851年に[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル|ブライトコプフ社]]から自筆譜をもとに初めて出版。この譜面について先のクーパーらは上記の経緯から初演時とほぼ同じものだったと結論付けている。近年の校訂版でも基本的にはこれまでの出版譜とは大きな違いはない。