「紀元二千六百年記念行事」の版間の差分

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爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ}}
 
この模様は[[日本放送協会]]により(現在の[[NHKラジオ第1放送]])によりラジオで実況中継された<ref>当時、日本には事実上の[[国営放送]]である[[NHKラジオ第1放送]]しかなかった。民間放送が始まるのは敗戦後の[[1950年代]]</ref>が、天皇の勅語の箇所は放送が中断された。これは、ラジオの聴取者がどのような姿勢・体勢で放送を聴いているかがわからないため<ref>当時は一般国民が天皇の声を聞くことさえ大変畏れ多いとされ、直立不動の姿勢を取らなければならなかった。</ref>、[[不敬罪|不敬]]とされる状況が生じるのを避けるための措置であった。天皇の肉声が正式なプログラムとして初めてラジオで流れるのは、1945年(昭和20年)の[[ポツダム宣言]]受諾を伝える[[玉音放送]]である。
 
[[ファイル:Celebrating Gagaku Music in Imperial 2600.JPG|thumb|紀元二千六百年記念奉祝会(11月11日)]]