「久間章生」の版間の差分

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[[2006年]]9月26日、[[第1次安倍内閣]]で再び防衛庁長官として再入閣。その後、[[2007年]]1月9日に防衛庁が[[防衛省]]に昇格したのに伴い、初代[[防衛大臣]]となったが、2007年6月30日に開かれた講演会での[[#「原爆しょうがない」発言|原爆投下をめぐる発言]]で、被爆者団体を筆頭に被爆者や遺族などから問題視され、同年[[7月3日]]、この発言の責任を取る形で大臣の座を追われた。その後も[[マスコミュニケーション|マスコミ]]による批判[[報道]]や、反核平和団体や、被爆者団体などからの反発や、抗議活動が続き、同年[[8月9日]]に長崎で行われた平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況に追い込まれた。<!--マスコミによる「しょうがない」発言ばかりを取り上げていた点も考慮すべき点である。一種の言論弾圧の被害者でもある。-->(→[[#「原爆しょうがない」発言|後述]]を参照)
 
{{要出典範囲|頭は切れるという評判がある。郵政国会下では総務会長権限による多数決採決という強権発動による党議拘束の理由作りで、[[郵政解散]]と[[小泉劇場]]の下地を整えた。[[山田洋行事件]]で[[防衛事務次官]]の[[守屋武昌]]が[[証人喚問]]において「接待の場に久間氏と額賀氏が同席」と答弁した際、自らは外遊の予定を直前でキャンセルして「解離性大動脈瘤」の大手術として病院に入院して証人喚問を受けにくくする一方で現役閣僚で身動きが取れなかった額賀のみに嫌疑の批判を大きく集中する構図となり相対的に自身への嫌疑を少なくさせた|date=2013年12月}}。
 
[[士志の会]]に属し、同会を構成する[[麻生太郎]]の後見人的立場にある。
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===「原爆しょうがない」発言報道===
[[2007年]][[6月30日]]に[[麗澤大学]]比較文明文化研究センター([[千葉県]][[柏市]])主催の講演会で行い、そこで「原爆しょうがない」と発言したと報道された。久間は[[7月1日]]フジテレビ「[[朝日新聞報道2001]]」で批判や責任を問う声について、「そんなような内容(の発言)ではない」、「訂正する必要はない。誤解を与えたところがあれば、そこは丁寧に説明しなければいけない」と述べて、撤回訂正はしない考えを明らかにしていたが、その後[[共同通信社中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]や[[公明党]]からも批判引用し受けため、同日の[[中国新聞記者会見]]にてで「被爆者や関係者のコメント載せ軽く見久間防衛相を糾弾す記事が刷かのような印象に取られ、テレビでも批判的な報道さたとすば申し訳なかっ」と陳謝して発言を事実上撤回<ref>[http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2007/181.html ],2007年7月1日</refname = simabara>{{cite web
 
久間は同日に[[フジテレビ]]「[[報道2001]]」で批判や責任を問う声について、「'''そんなような内容(の発言)ではない'''」、「訂正する必要はない。誤解を与えたところがあれば、そこは丁寧に説明しなければいけない」と述べて、撤回・訂正はしない考えを明らかにしていたが、その後[[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]や[[公明党]]からも批判を受けたため、同日の[[記者会見]]で「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった」と陳謝して発言を事実上撤回<ref name = simabara>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0201.html
|title = 原爆投下「しょうがない」発言 久間氏が陳謝、撤回
|date = 2007-7-2
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>し、かつ、毎年[[8月9日]]に行われる長崎の平和記念式典に参列する意向を示していた<ref name =simabara />。
====発言全文====