「天神社 (徳島市)」の版間の差分
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== 歴史 ==
[[平安時代]]、[[菅原道真]]が左遷されて[[大阪]]から船で[[太宰府]]に行く途中、嵐に遭遇し[[阿波国]]に漂着。その際に当地に滞在したことが縁で建立したと伝わる<ref>{{cite web|url=http://www.topics.or.jp/special/132782152007/2012/02/2012_132832233738.html|title=天神社 松と書 次代につなぐ|work= |publisher=[[徳島新聞]]|date=2012-2-4|accessdate=2016-11-22}}</ref>。菅原道真は、当地に儒学・筆法を伝授し、「旅屋が寺子屋を開いた」と騒がれ、タビヤ村と呼ぶようになり、「タミヤ」に変語し、田宮村(現在の[[田宮町 (徳島市)|田宮町]]・[[南田宮]]・[[北田宮]])の由来となっ
[[徳島藩]]政時代には、初代藩主・[[蜂須賀至鎮]]が神社周辺の樹木を弓材として幕府に献上。代わりに[[日向国]]から取り寄せた松千本を植えた。これが、神社南側にある[[徳島市立千松小学校]]の校名の由来となる。
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