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[[江戸時代]]には[[山陽道]]の流れをくむ[[西国街道]]が[[参勤交代]]などに利用され、[[芥川宿]]は六宿駅の一つとして栄える。富田は8,000石余りを醸造する酒蔵として栄える([[高槻藩]]を参照)。富田は酒所として栄えた。
 
江戸時代に日本を欧州に初めて体系的に紹介したオランダ商館付医師[[エンゲルベルト・ケンペル]]は、1691 年 2 月 28 日、長崎から江戸に行く途中、大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み、そこに「左側のほうに、地元の君主の白い城が大変美しく際立って見えた」と記録している<ref>江戸参府旅行日記 (東洋文庫 303) エンゲルベルト・ケンペル (著)</ref>。
 
明治時代には[[隠れキリシタン]]の里として発展した。