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1840年に[[ギーセン]]の[[ユストゥス・フォン・リービッヒ|リービッヒ]]の研究室に学び、一時[[セーヴル焼|セーブル磁器]]工場で働いた後、1841年に[[ジュネーヴ大学]]の化学の教授となった。後に[[鉱物学]]も教えた。
希土類元素の[[イッテルビウム]]を1878年に
原子量の希土類元素は非常によく似ていて、一緒に産出するため、その分離は困難であって、多くの化学者とともに苦心して分離していった。
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