「河東碧梧桐」の版間の差分
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== 作家論 ==
碧梧桐と虚子は「'''子規門下の双璧'''」と謳われ、青年期には厚い友誼を結んでいたが、芸術面では守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子とは激しく対立してい
新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む[[自由律]]俳句誌『'''層雲'''』を主宰する[[荻原井泉水]]と行動を共にした。しかし、[[1915年]]([[大正]]4年)には井泉水と意見を異にし、層雲を去っている。碧梧桐はその年の3月、俳誌『[[海紅]]』を主宰。更にこれも[[中塚一碧楼]]に譲る。昭和初期に[[風間直得]]が[[漢語]]にフリガナ([[ルビ]])を振る'''ルビ俳句'''を試作、これに賛同した碧梧桐もこれを作るようになるが、これは支持を得られなかった。
引退については俳句創作への情熱の衰えと、虚子への抗議の意味が込められていたようである。▼
子規は、碧梧桐と虚子について、「虚子は熱き事火の如し、碧梧桐は冷やかなる事氷の如し」と評した。▼
== 碧門の人々 ==
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