「ドーズ案」の版間の差分

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== 経緯 ==
[[1919年]]5月に締結された[[ヴェルサイユ条約]]では、[[アルザス]]・[[ロレーヌ]]地方のフランスへの割譲をはじめとする領土の縮小、軍備制限など、ドイツにとって非常に厳しい内容であった。
[[1923年]]にドイツの賠償金未払いを理由に、フランス・ベルギー軍がルール地方を占領した([[ルール占領]])。ドイツ側は生産停止で対抗したものの、同時に賃金は払われたので、マルクの価値は数年前の1兆分の1に暴落し、[[インフレーション|ハイパーインフレーション]]に陥った。これにより[[アドルフ・ヒトラー]]による[[ミュンヘン一揆]]が発生するなど、国内事情は急激に危機に陥る。インフレーションは[[レンテンマルク]]の発行により奇跡的に収まったものの、まだまだ安定しているとはいえない状況にあった。これを見かねて、アメリカの[[カルビン・クーリッジ]]大統領がドーズを委員長とする特別委員会を成立させ、新賠償方式が作られることとなった。フランスの[[レイモン・ポアンカレ]]首相は反対したが、結局イギリスとアメリカに押し切られ、アメリカの介入を受諾した。