「佐分利信」の版間の差分

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| 活動内容 =
| 配偶者 = [[黒木しのぶ]]
| 著名な家族 = 息子:[[石崎二郎]](俳優息子
| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = '''テレビドラマ'''<br>『[[阿修羅のごとく]]』<hr>'''映画'''<br>『[[家族会議 (映画)|家族会議]]』 / 『[[兄とその妹]]』 / 『[[暖流 (小説)#1939年版|暖流]]』<br/>『[[戸田家の兄妹]]』 / 『[[執行猶予 (映画)|執行猶予]]』<br/>『[[帰郷 (1950年の映画)|帰郷]]』 / 『[[風雪二十年]]』 / 『[[彼岸花 (映画)|彼岸花]]』<br/>『[[秋日和]]』 / 『[[華麗なる一族 (映画)|華麗なる一族]]』<br/>『[[化石 (井上靖)|化石]]』 / 『[[日本の首領]]』
| アカデミー賞 =
| アリエル賞 =
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'''佐分利 信'''(さぶり しん、[[1909年]][[2月12日]] - [[1982年]][[9月22日]])は、[[日本]]の[[俳優]]、[[映画監督]]。本名は'''石崎 由雄'''(いしざき よしお)。旧芸名に'''島津 元'''。
 
渋みのある演技で活躍した昭和期の二枚目俳優のひとりで、愛称は「'''サブリどん'''」。日活を経て[[松竹]]に入社し、[[上原謙]]・[[佐野周二]]と「松竹三羽烏」を結成して、戦前松竹の看板スターとして活躍した。戦後は監督業にも進出し、『執行猶予』『風雪二十年』『[[慟哭 (映画)|慟哭]]』などの社会派作品を発表した。[[1960年代]]はテレビドラマに活躍の場を移し、晩年は映画界に戻って貫録のある演技を見せた。主な作品に『[[兄とその妹]]』『[[暖流 (小説)#1939年版|暖流]]』『[[戸田家の兄妹]]』『[[彼岸花 (映画)|彼岸花]]』『[[華麗なる一族 (映画)|華麗なる一族]]』『[[化石 (井上靖)|化石]]』など。女優の[[黒木しのぶ]]は妻、俳優の石崎二郎は長男、ジャズ・アルトサックス奏者の石崎忍は孫に当たる。
 
==来歴・人物==
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[[1961年]](昭和36年)からは[[テレビドラマ]]に進出し、以後はスクリーンから遠ざかってテレビに活躍の場を移した。[[連続テレビ小説]]の『[[あかつき (テレビドラマ)|あかつき]]』、[[テレビ朝日|NET]]の『[[判決 (テレビドラマ)|判決]]』などに主演し、同年には[[TBSテレビ|TBS]]と演出家契約を結んで数本の作品で演出を手掛ける。
 
[[1973年]](昭和48年)、[[熊井啓]]監督の『朝やけの詩』で12年ぶりに映画に復帰する。[[山崎豊子]]原作[[山本薩夫]]監督の『[[華麗なる一族 (映画)|華麗なる一族]]』の中で万俵大介を演じ、傲慢な銀行頭取を重厚感たっぷりに表現したことで、映画俳優・佐分利信の存在を改めて重々しく印象付ける<ref name="全集3"/>。[[1975年]](昭和50年)には、その3年前に放送されたテレビ映画を劇場用に公開した[[小林正樹]]監督の『化石』に主演、死に直面した男を力演する。[[東映]]の[[ヤクザ映画]]『[[日本の首領]]』3部作や、[[市川崑]]監督の『[[獄門島 (1977年の映画)|獄門島]]』、小林監督の『[[燃える秋]]』などでも貫禄ある演技を見せ、テレビドラマでは[[向田邦子]]脚本の『[[阿修羅のごとく]]』での父親役が晩年の代表作となった。
 
私生活では[[1964年]](昭和39年)に妻の黒木を[[肝臓癌]]で亡くしている。[[1982年]](昭和57年)[[9月3日]]に体調不良を訴え、[[東京都]][[板橋区]]の[[日本大学医学部附属板橋病院|日大板橋病院]]に入院する。病名は黒木と同じ肝臓癌だったが、すでに手術不可能の状態にあり[[延命治療]]として医師から[[高カロリー輸液]]を勧められるもこれを拒否したため[[9月22日]]午後11時55分に死去した。73歳没。