「エンマ・バルダック」の版間の差分
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しかし、フォーレとの愛人関係を終えてから、自分と同い年のドビュッシーに長男ラウルを師事させ、この関係がもとで恋愛関係となった。両者とも不倫の関係であるにもかかわらず、紆余曲折の末に[[1908年]]にドビュッシーと結婚した。ドビュッシーはエンマとの間に儲けた一粒種の娘クロード=エンマをシュシュ Chouchou([[キャベツ]]ちゃん)と呼んで溺愛し、この娘のために組曲『[[子供の領分]]』([[1909年]])を作曲した。
娘クロード=エンマは父の死に際して片親違いの兄ラウルに自らの激情を綴った手紙を送っており、ラウルとの兄妹関係は良好だったものと見られる。これは原文(の自筆コピー)が[[サン
エンマはその後1934年に没し、パリの[[パッシー墓地]]にあるドビュッシーの墓に夫および娘と共に葬られている。
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