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ただし[[池内宏]]は、李子春が[[実在]]していた人物であることは疑いの余地がないという<ref>[[池内宏]]「李朝の四祖の伝説とその構成」『[[満鮮史]]研究 近世編』[[中央公論美術出版]]、[[1972年]]、p37</ref>。
 
李氏朝鮮史が専門の[[六反田豊]]([[東京大学]]教授)は、李子春が双城などの千戸として元朝に仕えたが、[[1355年]]に高麗に内応して小府尹に任命され、翌年高麗が行った双城総管府攻撃の際に、高麗王の命令を受けてこれを攻撃して戦功を立て咸鏡道の万戸・兵馬使の任命されたなどというのは「[[伝説]]」として<ref>{{Harvnb|六反田豊|1986|p=45}}</ref>、「こうした伝説は、『[[高麗史]]』・『[[朝鮮王朝実録|太祖実録]]』・『[[飛御天歌]]』等にみられるが、どこまで史実を反映したものであるかは疑問である。」と述べている<ref>{{Harvnb|六反田豊|1986|p=77}}</ref>。
 
== 家族 ==