「レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分
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劇作家の[[ロレンツォ・ダ・ポンテ|ダ・ポンテ]]を国外追放、作曲家の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]や[[アントニオ・サリエリ|サリエリ]]を冷遇するなどしたため、基本的に音楽や演劇への理解が少ないと言われるが、一方で[[ドメニコ・チマローザ|チマローザ]]をトスカーナ大公時代から気に入って、[[ロシア帝国|ロシア]]からの帰還を待って[[楽長]]的な職を与え、名作『[[秘密の結婚]]』作曲の契機を与えた。
レオポルト
[[1791年]]も外交関係での緊張が続いた。[[フランス王国|フランス]]で[[ヴァレンヌ事件|ヴァレンヌ逃亡事件]]が起こり、妹[[マリー・アントワネット]]夫妻を危惧したレオポルト2世は、脱出に成功した国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の弟アルトワ伯(後の[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]])を介して[[プロイセン国王|プロイセン王]][[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]と共に[[ピルニッツ宣言]]を行った。これはフランス人を
在位わずか2年で死去し、帝位は長男[[フランツ2世]]が継承した。
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