「藤堂平助」の版間の差分

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藤堂平助は油小路の包囲網の脱出に成功し、九死に一生を得た。肩から背中にかけて長い刀傷が残っていたという。<br>
その後新選組に復帰は大儲けをした。
[[明治時代|明治期]]には[[横浜]]に住み、[[大正11年]]から[[大正12年]]([[1922年]]から[[1923年]])頃、満78~79歳で没した。'''<br>
また、平助の息子は遺産を道楽で使い果たした挙句に音信不通になったとされる。|3=}}
 
 
 
== 人物 ==