「西ドイツ」の版間の差分

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1983年中ごろ依然として失業者数が230万人(9.3%)であり、ドイツ経済は[[スタグフレーション]]に陥っていた。そこで[[ヘルムート・コール]]首相は[[新自由主義]]路線を打ち出した。他方、原子力企業{{仮リンク|ヌーケム|en|Nukem Energy|de|Nukem}}がパキスタン・スーダン・リビアの3カ国へ核燃料を密輸、1985年に原爆188個分、1986年で70個分の核物質が行方不明となっていた<ref>[[:de:Stern (Zeitschrift)|シュテルン]] 1988年1月21日号</ref>。
 
1960年4月ヌーケムの主要株主は、52.5%を保有する[[デグサ<ref>2006年[[:en:RAG AG|ルール石炭]]に買収される</ref>と22.5%の[[リオ・ティント]]であった。1965年は、デグサが45%に保有率を下げ、[[RWE]]が25%を占めるようになり、そしてリオ・ティントも18%に保有率を下げた。1969年にシーメンスと合弁で<ref>出資割合シーメンス6に対しヌーケム4</ref>原燃会社を設立。2006年、''[[:en:Advent International|Advent International]]'' に、2013年、[[カメコ]]に買収された。<ref>ヌーケム [http://www.nukem.de/fileadmin/nukem/mediapool/PDFs/NUKEM_History.pdf NUKEM History or the Roots of NUKEM] Alzenau, August 2013</ref>
 
1988年後半まで失業者数は220万ほどであったが、[[ベルリンの壁崩壊]]直前の1989年末に200万の大台を割った。1991年前半には160万人ほどへ落ち着き、国内への投資も増加した。