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[[1975年]]、[[トーメンアパレル]]から発売されていたジーンズブランド「WELDGIN」の「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」のコピーで、東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。同年、イラストレーター[[湯村輝彦]]に出会い、彼の主宰のORIGINAL FLAMINGO STUDIOの創設に参加。
 
[[1976年]]、湯村と共に制作した、「WELDGIN」の広告で、東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)を受賞。同年、漫画雑誌『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』の編集者の[[南伸坊]]からの依頼で、糸井が原作、湯村が作画の「[[ペンギンごはん]]」シリーズの発表を始める<ref>かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容という作品であった。</ref>。また、『ガロ』の編集部にいた南伸坊、[[渡辺和博]]らを介して、「[[赤瀬川原平]]人脈」との親交が始まる。同年7月、糸井原作、湯村作画で「さよならペンギン」を刊行。
 
[[1978年]]、[[矢沢永吉]]の自伝本『成りあがり』の構成、編集を手掛ける。同書はベストセラーを記録した。