「閑山島海戦」の版間の差分

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同月29日、李舜臣は泗川湾で日本輸送船団を攻撃し、大船12隻を焼き払った。この時舜臣も銃弾を左肩に受け負傷した。6月2日朝、李舜臣は唐浦に停泊中の[[得居通年|来島通之]]・[[亀井茲矩]]率いる20余隻の船団を攻撃した<!---死んでないですよ、通之を戦死させた---><ref>玉浦から唐浦までの経緯は、『愛媛県史 近世上』(愛媛県、1986年)P60-63より。</ref>。
 
これに対処するために[[豊臣秀吉]]は6月23日付けの書状で陸戦や後方輸送に従事していた[[脇坂安治]](動員定数1500人<ref>『天正記』第七巻所収「ちやうせん国御進発の人数つもり</ref>)、[[九鬼嘉隆]](動員定数1500人<ref>『天正記』第七巻所収「ちやうせん国御進発の人数つもり</ref>)、[[加藤嘉明]](動員定数750人<ref>『天正記』第七巻所収「ちやうせん国御進発の人数つもり</ref>)の三大名を招集し、朝鮮水軍を討つように命じた。
 
== 閑山島海戦の経過 ==