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'''オリンピック聖火'''(オリンピックせいか、{{lang-en-short|Olympic Flame}}、{{lang-fr-short|Flamme olympique}})は、[[国際オリンピック委員会]]の権限の元、[[ギリシャ]]の[[オリンピア (ギリシャ)|オリンピア]]でともされる[[火]]のことであり、[[近代オリンピック|オリンピック]]の[[象徴]]でもある。
 
== 概要 ==
オリンピック大会開催期間中、[[オリンピック・スタジアム|主競技場]]でともされ続ける。その起源は[[古代ギリシア]]時代に遡り、[[ギリシア神話]]に登場する[[プロメーテウス]]が[[ゼウス]]の元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、[[古代オリンピック]]の開催期間中にともされていた。聖火は、[[1928年]]の[[アムステルダムオリンピック]]で再び導入されて以来、[[近代オリンピック]]の一部であり続けている。
 
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[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]では[[グレートバリアリーフ]]の海中を[[潜水士|ダイバー]]によって移動され、史上初めての海中聖火リレーとなった。
 
[[2004年]]の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]の時には、78日間にわたる初の世界規模の聖火リレーが行われた。聖火は、およそ11,300人の手によって78,000kmの距離を移動し、この中で初めて[[アフリカ]]と[[中南米]]に渡り過去のオリンピック開催都市を巡り、[[2004年]]のオリンピック開催地であるアテネまで戻ってきた。
 
[[2008年]]の[[北京オリンピック]]では世界135都市を経由し、標高8848mで世界最高峰の[[エベレスト山|エベレスト]]山頂を通過した。しかし、[[アルゼンチン]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[フランス]]・[[イギリス]]・[[オーストラリア]]・[[インド]]・[[日本]]・[[大韓民国|韓国]]など世界各国では中国の[[チベット]]弾圧に対する抗議デモなどの影響で三度ほど聖火を消したり、予定されていたルートを変更する国が続出する事態となった。また、[[長野市]]で聖火リレーが行われた日本では[[善光寺]]がスタート地点としての利用を取りやめにしたほか、公式スポンサーのレノボジャパン、日本サムスン、日本コカ・コーラ三社が広告掲示を取りやめ(三社ともチベット問題を理由とはしていない)るなど混乱が生じた。詳細は[[北京オリンピックの聖火リレー]]を参照。
 
[[2009年]]3月26日、[[国際オリンピック委員会|国際オリンピック委員会(IOC)]](IOC)は、北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い、世界規模の聖火リレーを廃止することを決めた。
 
[[2016年]]の[[リオデジャネイロオリンピック]]では国内約270都市を経由したが資金難などで聖火リレーを辞退したり、一部で妨害などが発生した<ref>{{Cite web|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ837XHMJ83USPT00F.html|author=山本秀明|title=聖火リレーを辞退した街 「金がかかる五輪いらない」|work=朝日新聞デジタル|date=2012-08-04|accessdate=2016-08-15}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3095622|author=Sebastian Smith|title=聖火リレー、暴動で一時中断 リオ五輪|work=AFPBB News|date=2012-07-28|accessdate=2016-08-15}}</ref>。
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長年にわたって、有名なスポーツ選手や元スポーツ選手が最終ランナーを務めることが伝統になっている。他の有名な最終聖火ランナーは、フランスのスターサッカー選手[[ミシェル・プラティニ]](1992年)、ボクシングヘビー級チャンピオンの[[モハメド・アリ]](1996年)、アボリジニの陸上選手[[キャシー・フリーマン]](2000年)らが挙げられる。
 
他にも有名ではない人物が聖火台に点火したこともあるが、それはオリンピックの理想を象徴している。東京オリンピックで聖火ランナーを務めた[[坂井義則]]は広島に[[原子爆弾|原爆]]が[[広島市への原子爆弾投下|広島に原爆が投下]]された[[1945年]][[8月6日]]、[[広島県]]([[三次市]])で生まれ、坂井は[[第二次世界大戦]]後の日本の復興を象徴した。1976年の[[モントリオールオリンピック]]では二人のティーンエイジャー(一人はフランス語を話す地域の出身者、もう一人は英語を話す地域の出身者)はカナダの調和を象徴した。2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]では、過去のイギリスの名選手から「次代を担う若者」として指名された10代の選手7人はイギリスの未来を象徴した。
 
以下は競技場で聖火台に点火した歴代の最終聖火ランナーのリストである。
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[[画像:2002 Winter Olympics flame.jpg|thumb|225px|「氷上の奇跡」と言われた20人の1980年アメリカ・[[アイスホッケー]]チーム選手のうち17人が、2002年[[ソルトレイクシティオリンピック]]の開会式でタワーの基部にある聖火台に点火すると、らせん型の塔を炎が上って行き、頂上で聖火として灯った。]]
 
聖火が衆目を集める理由は、聖火台への点火が開会式の[[クライマックス]]となることにもある。一方では、ショーアップのために点火の「仕掛け」が複雑化し、コストの上昇やトラブルをもたらす問題もあり、回を追うごとにエスカレートする傾向の[[演出]]には批判の声もある。
 
* [[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]では、[[パラリンピック]]の[[アーチェリー]]選手[[アントニオ・レボジョ]]が、スタジアムの端に位置する聖火台へ火矢を放つ方法で点火した。
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== 聖火台 ==
聖火台及びその支柱はユニークで大胆なデザインとされることが多く、これらは開会式の間に点火される方法にも関係している。1992年の[[バルセロナオリンピック]]では、火をともすための火矢が聖火台に向かって[[アーチェリー]]から放たれた。1996年の[[アトランタオリンピック]]では、聖火台は赤と金で飾られた芸術的な巻物のようだった。同年の[[アトランタパラリンピック|同年のパラリンピック]]では、半身不随の登山家が聖火台から垂れ下がったロープを登って点火した。
 
建築家の[[伊東豊雄]]によると2016年時点で、複数回同一の都市で開催されたオリンピックを含めて同じ聖火台が2度使われた例は無いという<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_305849/ 新国立“聖火台”の置き場なし B案の建築家が疑問「不自然」] - Infoseekニュース(日刊ゲンダイ / 2016年3月6日)</ref>。