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文欽は気が荒く、礼節を弁えぬ性格の為に人望がなく、歴任したいずれの官職でも傲然として上司を馬鹿にし、官吏の法に遵わなかった為に周囲から憎まれていた。この事でいつも弾劾の上奏を受けたが、明帝はそれを抑えてやった。後に[[淮南]]の牙門将となり、[[廬江]][[太守]]・鷹揚将軍に昇進した。
 
明帝の没後、養子の[[曹芳]]が跡を継ぎ皇帝に即位したが、まだ幼少であったため、後見役の曹爽が実権を握っていた。文欽は、[[王凌|王淩]]から貪欲残忍さを取り上げられて弾劾された為に、一時中央に召し返された。しかし曹爽は文欽と同郷だった為に文欽を厚遇した上で、さらに事件の詳細も取り調べずに再び任地に返し、冠軍将軍に昇進させた。文欽は益々付け上がって尊大な態度をとり、勇壮さを示して偉ぶった為になかなかの虚名を博した。
 
=== 反逆 ===