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[[1969年]]11月、共政会十一会組員と共政会村上組組員が喧嘩をした。これを切っ掛けに[[広島抗争#第三次広島抗争|第三次広島抗争]]が勃発した。
 
[[1970年]]、[[下関市]]の[[合田一家]]・[[合田幸一]]総長の提唱により反[[山口組]]同盟・[[関西二十日会]]が結成された。加盟組織は、合田一家、[[大阪市]]の[[松田組]]、[[神戸市]]の[[忠成会]]、[[姫路市]]の[[木下会]]、[[岡山市]]の[[浅野組]]、[[広島市]]の共政会、[[福岡市]]の[[工藤会]]など<ref>出典は、[[溝口敦]]『撃滅 山口組vs一和会』[[講談社]]<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9.のP.208</ref>。
 
===三代目共政会===
[[1970年]]1月22日に広島の料亭で、山田は、共政会三代目の襲名披露を行った。
 
[[1971年]]11月、[[王子製紙]]の[[株主総会]]で、[[総会屋]]の[[嶋崎栄治]]と総会屋の[[小川薫]]の両派が乱闘となった。その後嶋崎が[[松葉会]]・[[菊池徳勝]]を後見人に立て、小川が二代目共政会・服部会長を後見人に立てて、手打ちを行った<ref>出典は、[[溝口敦]]『撃滅 山口組vs一和会』[[講談社]]<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9.のP.153。このとき、服部は二代目共政会会長ではないが、出典のまま「服部武」と表記した。</ref>。
 
[[1972年]]5月、兵庫県[[有馬温泉]]で、[[大日本平和会]]・[[平田勝市]]会長を仲人として、山田と森田の手打ちが行われた。手打ち式の後、波谷と山田と森田は、兄弟分になることを約束した。
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[[1996年]]2月、四代目共政会、二代目[[侠道会]]、三代目[[浅野組]]、六代目[[合田一家]]、[[親和会 (高松)|親和会]]は、親睦会「[[五社会]]」を結成した。
 
[[2003年]]8月、沖本が病死した<ref>出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』[[メディアックス]]、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6.のP.137</ref>。
 
===五代目共政会===