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* 2009年 島根県立大学名誉学長・名誉教授
 
== 業績研究活動 ==
=== [[太平洋戦争への道]] ===
* 大学院の博士課程から卒業後の数年間に渡り、東京大学の東洋政治外交史コースの責任者であった[[植田捷雄]]のもとで[[坂野正高]]、[[衛藤瀋吉]]、[[関寛治]]らとの研究会(放談会と称したが外国人が多数出席しての学問的交流会)にて、東洋政治外交史および太平洋戦争の実証研究を行った。その後、[[細谷千博]]、関寛治、[[緒方貞子]]、[[斉藤孝 (歴史学者)|斉藤孝]]らとも共同研究を進め、極東国際軍事裁判の分析が事実とずれているということから、事実を押さえ直し、太平洋戦争に至るプロセスの実証研究による再検討を行った。<ref>平野・土田・村田・石編『インタビュー 戦後日本の中国研究』(平凡社、2011年)45頁</ref>太平洋戦争研究は、当時公開されたばかりの公文書、中国関係の未開拓資料やビラに至る細かい資料も発掘して資料考証し、解釈の問題点をたたきあう徹底した[[社会科学]]的アプローチがとられ、[[日本国際政治学会]]から1962 - 63年に『[[太平洋戦争への道]]』(朝日新聞社)として刊行、著名な歴史研究書として結実している。
 
* 内発的発展論は、本来、近代的な高度成長経済や国家中心の政治に対する異議申し立ての性格をもつ。「内発的発展論の担い手は、その目指す価値および規範を明確に指示する。近代化論が“価値中立性”を標榜するのに対して、内発的発展論は、価値明示的である」(鶴見和子「内発的発展論の系譜」)というような思い切った問題提起が行われるのも、このためである。<ref>宇野重昭・鶴見和子編『内発的発展と外向的発展 現代中国における交錯』(東京大学出版会、1994年)1~2頁</ref>この内発的発展論は、その後、鶴見和子の友人で中国の社会学の基礎をつくった[[費孝通]]、江蘇省の小城鎮研究責任者の朱通華らとの10年に渡る日中双方での実証研究へと繋がり、宇野重昭・鶴見和子編 『内発的発展と外向的発展 現代中国における交錯』(東京大学出版会、1994年)として問題提起されている。
 
=== 北東アジア学への道 ===
* 2000年に初代学長として4年制[[島根県立大学]]を建学、大学院博士課程開設に並行して北東アジア学という新しい学問分野を創成した。その際、内発的発展論で展開していた「ある種の普遍性のつながりがありながら、それぞれに違ったものとして発展しているものの相互関係が互いにぶつかりあうことによって、どういう新しい普遍的なものを生み出すのか」という相互触発論を基本的な考え方として持ち込んでいる。<ref>平野・土田・村田・石編『インタビュー 戦後日本の中国研究』(平凡社、2011年)47頁</ref>
* 2013年に出版された[[平野健一郎]]は、北東アジア学創成シリーズの第一巻『北東アジア学への道』では(2013年)について、これまでの[[科学主義]]が排除しようとしたり、合理的な方法によって解消すべきものとする「[[情念]]」を、地域研究の基本的な尺度として重視し、科学主義とバランスさせるかのように「情念」を強調し、理性と情念の相互関係を重視する知性とその必要性を明確に説いていると評した。さらに、北東アジアという地域をあえて明確に定義せず、最近のグローバル化によって地域はそこに住む人々の主体的な意識によって生まれ、変化するという動的な地域概念を打ち出している。そして、ある地域について、それぞれの理性と情念を特徴として取り上げ、どのように関連させるか、地域研究にとって重要なその操作を新しく定義される「知性」に行わせるという重層的な[[パラダイム]]を提起していると述べた。北東アジア学については、グローバリゼーション下の地域研究という意味においても、今後のあるべき認識モデルを示していると言えよう。ると評した<ref>平野健一郎著「書評 宇野重昭著 北東アジア学への道」『中国21 Vol.40 特集 中国社会の矛盾と展望』(東方書店、2014年)253~260頁</ref>
 
== 著書 ==