「働く女性」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
55行目:
=== 年表(日本) ===
*1890年頃、繊維産業で女性が雇用されるようになり、工場労働者の約9割が女性であった。
*[[1901年]]、三井呉服店(現:[[三越]])が、3人の女性正社員を採用した。採用した理由は、[[徴兵制度]]があった[[日本軍]]では、3年間の徴兵義務がある男性より、仕事内容をじっくり教える事が出来る「極めて合理的な理由」だった。
*[[1911年]]、[[工場法#日本の工場法|工場法]]公布。
*[[1914年]] - [[1918年]]、[[第一次世界大戦]]。
*[[1916年]]、工場法施行。
*[[1916年]]、[[和文タイプライター]]の急速な普及に伴い、キーパンチに従事する女性(「タイピスト」)が増加した。当時の働く女性は「[[職業婦人]]」と呼称された。
*[[1920年代]]、世界経済の好調を背景に女性の社会進出が進んだ。[[モボ・モガ|モダンガール]]の時代。
*[[1923年]]、工場法改正。11時間労働。
*[[1925年]]、『[[女工哀史]]』(改造社)。当時の工場での過酷な女性労働を描いた[[細井和喜蔵]]著のルポルタージュ。
67行目:
*[[1931年]] - [[1945年]]、[[十五年戦争]]の時代<!-- 大雑把な時代区分として記述-->。戦時体制で工場労働者の処遇改善は後回しにされた。
*[[1947年]]、[[労働基準法]]の制定。男子労働者への保護規制を導入。女子保護規定も他の先進国と同等になった。8時間労働。
*[[1954年]] - [[1975年]]、「[[青森駅|青森]] - [[上野駅|上野]]」間で夜行の[[集団就職]]列車が運行された。
*[[1972年]]、「勤労婦人福祉法」が施行。
*[[1985年]]、[[女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約|女子差別撤廃条約]]を日本が批准。