「ノルマン・コンクエスト」の版間の差分

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==背景==
[[11世紀]]の[[イングランド王国|イングランド]]は、[[デーン人]]の王朝([[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン1世]]・[[クヌー1世 (マークグランド王)|クヌート1世]]など)の後、[[ノルマンディー公国|ノルマンディー]]の支援を受けたアングロ・サクソン王朝の[[エドワード懺悔王]]が即位したが、その支配はデーン人と[[ノルマン人|ノルマンディー人]]の影響力の脆いバランスの上に立ったものだった。この不安定な状況が、後に外部の介入を招く伏線となった。
 
エドワード懺悔王には息子がいなかったので、甥で異母兄[[エドマンド2世 (イングランド王)|エドマンド2世]]の息子[[エドワード・アシリング]]をあらかじめ後継者に迎えていたが、エドワード・アシリングが亡くなると、その幼い息子[[エドガー・アシリング]]を後継者とした。しかし、[[1066年]]に懺悔王が亡くなると、年少(15歳前後)のエドガーは無視された。代わりに、王妃エディスの兄で最大のサクソン貴族であった[[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド・ゴドウィンソン]]が、サクソン諸侯会議によって王(ハロルド2世)として選ばれた。