「虹作戦」の版間の差分

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[[1973年]]頃から、暗殺計画が浮上していたが、具体化し始めるのは翌年[[1974年]]からである。[[犯人]]グループは天皇の行動を調べ、全国各地で多様な公務をこなしながらも毎年[[8月14日]]だけは[[那須御用邸]]から[[皇居]]に[[お召し列車]]で帰還し、翌[[8月15日]]の[[全国戦没者追悼式]]に備えるという行動パターンをつかんだ。彼らはこのお召し列車を天皇もろとも爆破することを決意、爆弾の設置場所は、[[埼玉県]]と[[東京都]]の都県境に架かる[[東北本線]][[荒川橋梁 (東北本線)|荒川橋梁]]([[赤羽駅|赤羽]] - [[川口駅|川口]]間)とした。彼らは[[昭和|昭和時代]]を「'''昭和49年8月14日'''」をもって終わらせる作戦に高揚したという。
 
ちょうどその頃から、「セジット」という爆薬の開発が進められ、1974年8月14日の決行日に合わせるために急ピッチで爆弾が製造された。
 
当初は無線による遠隔操作でお召し列車通過のタイミングに合わせて鉄橋の[[線路 (鉄道)|線路]]を爆破するつもりだったが技術的問題により挫折し、有線方式での爆破を企てた。
 
=== 決行 ===