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* 英国公使館の書記官であった[[アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード (初代リーズデイル男爵)|アルジャーノン・ミットフォード]]によれば、「パークスとロッシュはお互いに憎みあい、二人の女のように嫉妬しあっていた」そうである。
* パークスは、公使館員に対し公使館の実務を午前中で終え、午後は日本を研究するように推奨していた。このような環境の中で、サトウや[[ウィリアム・ジョージ・アストン]]のような、日本学者が生まれた。またミットフォードも赤穂浪士を欧州に紹介している。
* [[1869年]]に[http://www.rbgkew.org.uk/scihort/ecbot/papers/parkes1871paper.pdf 『日本紙調査報告』]を作成、本国に報告している。パークスおよび公使館員が調査したもので、412種類の和紙が収集された。このコレクションは現在[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]や[[キューガーデン]]に保管されている。このパークスの報告書は、生産地、価格、製造方法や用途などが詳細に記載されている点で貴重である。このコレクションは[[1994年]]に「海を渡った江戸の和紙」展で里帰りした<ref>[http://books.google.com/books?id=4c12SrT63AMC&printsec=frontcover&dq=%E5%92%8C%E7%B4%99%E5%A4%9A%E5%BD%A9%E3%81%AA%E7%94%A8%E3%81%A8%E7%BE%8E&source=bl&ots=HfwwU6MJ45&sig=BYNBrdARDgv6v4yg2qe_etkNYDI&hl=en&ei=RyXoTP74AZKcsQPvoOiwCw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CBcQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false 久米康生著『和紙多彩な用と美』玉川大学出版部(1998年)]、ISBN 978-4472110412]</ref>。
* 外交官としては有能であったが、癇癪持ちで交渉相手からは必ずしも好まれていなかった。また部下であったサトウやミットフォードも、性格には問題があったとしている。
{{Quotation|私とサー・ハリーとの関係は、たしかに楽しいものではありませんでした。アダムスもミットフォードも彼を良く思ってはいませんでした。これは主に社会階層の違いからくるものです。私もそのとおりだと思っていた日本人の請願に対して、彼の荒々しい言葉を通訳しなければならなかったのは、ほんとうに辛いことでした。しかし、彼は偉大な公僕であった|アーネスト・サトウ(1921年9月25日付けの[[バジル・ホール・チェンバレン]]への手紙)<ref>[http://www.yushodo.co.jp/pinus/72/satow/index.html 日欧交渉史エッセイ アーネスト・サトウの手紙]より。</ref>}}