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== 生涯 ==
『[[大越史記全書]]』によると、実父は俳優の[[楊姜]]で、日礼の母が身籠っていたときに恭粛王[[陳イク|陳元昱]](第5代皇帝・[[陳明宗|明宗]]の子)が目を付けて、日礼を自分の子として育てたという。
 
義父の陳元昱は本来なら皇帝になるはずだったが、無能だとして明宗によって廃され、その弟の[[陳裕宗|裕宗]]が帝位についていた。[[大治 (陳朝)|大治]]12年([[1369年]])に子が無かった裕宗が崩御すると後継者問題が起こり、裕宗の母の[[憲慈皇后|憲慈太后]]の後押しを受けて日礼が即位することになった。