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{{by|2004年}}には、[[8月7日]]の対[[中日ドラゴンズ]]戦6回裏の打席で、[[遠藤政隆]]から一軍初本塁打を記録。[[8月20日]]の対[[読売ジャイアンツ]]戦(いずれも[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])では、延長12回裏に[[代打]]で登場すると、野球人生で初めてのサヨナラ安打を放った。広島のベンチ入り野手では最後の出場だったが、この一打によって、5時間42分([[セントラル・リーグ]]で歴代10位の長時間試合)に及んだ熱戦に終止符を打った。シーズン全体では、一軍公式戦24試合に出場。ウエスタン・リーグ公式戦では、45試合の出場で打率.324を記録した。
 
{{by|2005年}}には、春季キャンプの投球練習でブルペン捕手を務めた際に、練習相手である[[黒田博樹]]の怒りを買う一幕があった。新調したばかりのキャッチャーミットで黒田のボールを捕っていたことや、黒田に対して投球数を曖昧に伝えていたことによる<ref>[http://web.archive.org/web/20051126092343/http://osaka.nikkansports.com/obb/p-ot-tp2-050222-0017.html 「広島エース黒田が捕手・倉を一喝」]大阪日刊スポーツ 2005年2月22日</ref>。しかし、このキャンプ中に、前年までの正捕手であった[[石原慶幸]]が骨折。一軍公式戦の開幕までに復帰できなかったため、[[4月1日]]の[[讀賣読売ジャイアンツ|讀賣読売ジャイアンツ(巨人)]]戦([[東京ドーム]])では、倉がプロ入り後初め開幕戦のスタメンマスクを被った。以降の公式戦でも、正捕手の座を確保。打撃に優れた石原が一軍に復帰した直後には、石原に正捕手の座を譲ったが、復帰前に好調だった投手([[小山田保裕]]など)が揃って調子を崩したことからすぐに正捕手へ復帰する。結局、一軍公式戦には109試合に出場。打撃面に課題は残ったものの、[[盗塁阻止率]].400は、この年のセントラル・リーグ公式戦で規定の出場試合数を満たした捕手で最も高かった。黒田との相性は特に良く、翌{{by|2006年}}以降の公式戦でも、黒田が先発する場合には「専属捕手」扱いで長らくバッテリーを組んでいた。
 
{{by|2006年}}には、一軍公式戦で石原と併用。石原が85試合に起用されたのに対して、自身は84試合の出場にとどまったばかりか、前年から一転してリーグ最低の盗塁阻止率を記録した。