「マリー=クリスティーヌ (マイケル王子夫人)」の版間の差分

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== 略歴 ==
当時[[ナチス・ドイツ]]領であった[[ズデーテン地方]]カールスバード(現在の[[チェコ]]、[[カルロヴィ・ヴァリ]])で、敗戦間近の1945年1月15日に、[[親衛隊 (ナチス)|ナチス親衛隊]]少佐に就いていたドイツ系の父ギュンター・フォン・ライプニッツ[[男爵]]と、ハンガリー貴族の娘の母マリアとの間の娘として誕生した。[[東部戦線|ヨーロッパ戦線]]での戦いが終わると、ズデーテン地方ではすぐに「[[ドイツ人追放]]」が起きた。
 
マリーは[[カトリック教会|カトリック]]教徒として育てられた。マイケル王子と結婚前は、インテリアデコレーターとして働いていた。
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1971年、イギリス人の銀行家、第6代[[準男爵]]トマス・トルーブリッジと結婚したが、1973年に別居、1977年に離婚した。1978年、5月にカトリック教会からトルーブリッジとの「[[婚姻の無効|婚姻無効]]宣告」(annulment)を受けた後、翌6月30日に[[ウィーン]]でマイケル王子と再婚(非宗教の法律婚・民事婚)した。1983年6月29日には、カトリック教会から「婚姻承認宣告」(acknowledgement)を受け、結婚式を挙げた。
 
[[王位継承法|1701年王位継承法]]では「王室構成員がカトリック教徒と結婚した場合、王位継承権を失う」と定められていたため、マイケル王子はイギリス王位継承権を失った。その後、[[2013年王位継承法]]での改定によりマイケル王子の継承権は復活した。[[{{仮リンク|フレデリック・ウィンザー|label=フレデリック]]([[:|en:Lord Frederick Windsor|Lord Frederick Windsor]])}}[[{{仮リンク|ガブリエラ・ウィンザー|label=ガブリエラ]]([[:|en:Lady Gabriella Windsor|Lady Gabriella Windsor]])}}の子供2人は[[アングリカン・コミュニオン]]として育てられたため、改正前より王位継承権を有している。<!--英語版でも序盤では出典がついていない。「親衛隊少佐」についてはマリー=クリスティーヌの父親の英語版も参照。-->
 
== 血筋 ==