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[[八王子競馬場|八王子]]の騎手養成所を経て、1960年6月に騎手としてデビュー(6頭立て6着)。同年7月に初勝利を挙げる(騎乗馬サチトップ)。「竹見マジック」ともいわれた逃げ先行の戦法を得意とし、デビュー2年目には早くも165勝を挙げるなど頭角を現す。1964年には[[南関東公営競馬|南関東]]のリーディングジョッキーに輝き、1969年12月5日には[[須田茂]]の持っていた通算2896勝の日本記録を追い抜いた<ref name="furlong200107"/><ref group="注">ただし、須田のこの記録は1950年以降の南関東公営競馬でのものに限られており、高崎時代の数字は含まれていない。</ref>。以後も数度の落馬事故を乗り越えて、2001年の現役引退まで42年の長きに渡り[[地方競馬]]のトップジョッキーとして活躍し続ける。
 
1966年に記録した'''年間505勝'''(2384戦)は当時の[[世界記録]]であり、2006年に[[内田博幸]](大井)が更新するまで40年もの間[[競馬の日本一の一覧|日本記録]]でもあった。なお、内田の勝利数にはJRAでの勝利数が含まれており、地方競馬のみの記録としては現在も最多勝記録である。このほか、1965年から1967年まで史上初の'''3年連続400勝突破'''も達成している。
[[ファイル:Sasaki Takemi.jpg|230px|thumb|最後の騎乗]]
2000年11月に現役引退を表明、その後引退に際して『佐々木竹見騎手ラストランシリーズ』と銘打って全国各地の競馬場でレース騎乗することを発表。2001年7月8日の川崎競馬最終レース、佐々木竹見引退記念・ラストラン賞をもって現役引退。最終レースでは圧倒的1番人気に推されたものの6着に敗れた<ref group="注">レースは[[山野勝也]]騎乗のグローバルファイタが勝利したが、単勝が万馬券となる人気薄だったこともあり馬番連勝単式馬券(馬単)の払戻金は当時日本競馬史上2位となる813,300円という大波乱となった。</ref>。