「プトレマイオス4世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Takatsuki (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m bot: 解消済み仮リンクシリア戦争を内部リンクに置き換えます
7行目:
父[[プトレマイオス3世]]の下で[[プトレマイオス朝]]は最盛期を迎えたが、プトレマイオス4世の頃より国力は衰え始める。彼は大酒飲みで放蕩生活を送ったと言われ、宮廷の腐敗が強まった。即位後、奸臣[[ソシビオス]]、[[アガトクレス]]の讒言に基づき母[[ベレニケ2世]]や弟マグス ([[w:Magas of Egypt|en]])を殺害した。アガトクレスの妹[[アガトクレア]]を愛人とし、廷臣たちの影響力が増大していく。
 
[[紀元前219年]]より[[セレウコス朝シリア]]の[[アンティオコス3世]](大王)との'''第四次{{仮リンク|[[シリア戦争 (プトレマイオス朝)|en|Syrian Wars|label=シリア戦争}}]]'''([[紀元前219年]]-[[紀元前217年]])が始まり、[[コイレ・シリア]]周辺を巡り激戦が展開された。最終的に、'''[[ラフィアの戦い]]'''において、エジプト原住民を主力に取り込んだエジプト軍が勝利し、コイレ・シリア周辺の確保に成功した。ラフィアの戦いにおいて原住民が勝利に貢献した事で、支配層(マケドニア人、ギリシャ人)は原住民の重要性を認識し、以降のプトレマイオス朝は彼らへの配慮を強めざるを得なくなる。
 
紀元前205年頃急死し(ソシビオスらによる暗殺説もある)、王妃アルシノエ3世も殺害され、幼い子[[プトレマイオス5世]]が即位した。