「エリク11世 (スウェーデン王)」の版間の差分

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[[1222年]]にヨハン1世が死去すると、エリク・エーリクソンは6歳の若さで'''エリク11世'''として王位に就いた。[[幼君|幼少の王]]に代わり、司教やクヌート・ホルムイェルソン、[[ウルフ・フォース]]ら一部の大貴族が後見人会(後の[[王国参事会]]の起源)を構成して実権を握った。{{Sfn|熊野聰|1998|p=65}}[[1229年]]、エリク11世は反乱を起こしたクヌート・ホルムイェルソンに[[オルストラの戦い]]で敗れ、叔父の[[ヴァルデマール2世|ヴァルデマー2世]]が支配する[[デンマーク]]へ亡命した。クヌートホルムイェルソンは[[1231年]]に[[クヌート2世]]として即位したが、間もなく[[1234年]]に死去した。
 
クヌート2世の死後、エリク11世は復位し、[[ヤール]]のスーネ・フォルカソンと[[スヴェルケル家]]の女性の間の娘であるカタリナと結婚した。一般にはエリク11世には子供がなカットかったとされるが、一部の資料によれば2人の娘が生まれたが程なく死んだという。
 
エリク11世は[[1250年]]に死去し、ヴェステルイェートランドの[[ヴァーンヘム修道院]]に葬られた。