「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の版間の差分

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[[1950年代]]の地球に似ている「もうひとつの地球」にある「オネアミス王国」正式国名「オネ・アマノ・ジケイン・ミナダン王国連邦」が舞台。
 
当初は4000万円の[[オリジナルビデオ]]として企画されていたものだったが<ref>武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』ワニブックス、[[2002年]](平成14年)、p91</ref>、当時[[バンダイ]]の[[山科誠]]社長が映像事業進出を模索していたことから映画化が実現し<ref>竹熊健太郎編『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』太田出版、[[1997年]](平成9年)、p76</ref>本作を制作するため[[1984年]](昭和59年)に[[ガイナックス|GAINAX]]が設立された。企画で当時でもをした[[岡田斗司夫]]が宮崎駿も認める天才庵野が参加するとブラフ(企画段階では参加してない)を言ってその後のプレゼン映像に参加した事によって映画化を現した。制作スタッフの多くが商業作品の制作経験をほとんど持たない20代の若者であったことでも知られる。その主要スタッフはNASAにロケハンに行っている。当時、映画製作の進行状況などは月刊[[モデルグラフィックス]]誌上において毎月リアルタイムに連載された。
 
監督は当時24歳の[[山賀博之]]。スタッフの平均年齢も24歳である。のちに『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』などで有名となった[[貞本義行]]や[[庵野秀明]]も参加し、音楽監督として[[坂本龍一]]を起用している。大衆向け娯楽作とは異なり、興行的には成功とは言えなかったが、一部でロングラン上映をする館もあった<ref>『のーてんき通信』p96</ref>。また、ビデオ・レーザーディスク(「メモリアルボックス」)は長く好調な販売を記録した。[[1997年]](平成9年)に[[ドルビーデジタル]]版(「サウンドリニューアル版」)が制作、同年[[11月2日]]に公開された。