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ガリア諸部族(ガリア人)は、長い期間にわたって互いに反目しあい、統一されることはなかった。[[紀元前390年]]頃には[[共和政ローマ]]に侵攻、首都ローマ市近郊での[[アッリアの戦い]]で完勝、ローマ市内を蹂躙している。しかし[[紀元前58年]]に[[ヘルウェティイ族]]の西進を契機として、ローマの武将[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]がガリアに侵攻([[ガリア戦争]])。これに対する諸部族の反応は、応戦・帰服と変転したが、紀元前54~52年頃に[[アルウェルニ族]]の[[ウェルキンゲトリクス]]を盟主として一致団結して大反乱を起こした。そして一時はカエサルを窮地に追い詰めたが、最終的にはカエサルに敗れ去った。
 
[[古代ローマ帝国]]の支配に組み込まれたガリア諸部族はローマへの同化が進み([[ガロ・ローマ文化]])、やがて[[ゲルマン人]]とも混血が進んで、後の[[フランク王国]]・[[フランス]]を形成していった。
 
現代のフランス人には、ガリア人を自分たちのルーツ・祖先として意識している者もいる。このため、東欧系・[[アラブ人|アラブ系]]・トルコ系・アフリカ系の移民系フランス人や、[[ユダヤ人|ユダヤ系]]フランス人、ドイツ系の[[アルザス人]]に対して、フランスにルーツを持つ白人をゴルワ (Gaulois) 、つまりガリア人と呼び分けることがある。