「ポール・ゴーギャン」の版間の差分

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=== 就職・結婚 ===
ポールは、地元の学校に通った後、{{仮リンク|ラ・シャペル=サン=メマン|en|La Chapelle-Saint-Mesmin}}の格式あるカトリック系寄宿学校に3年間通った<ref>[[#Gayford|Gayford (2006: 99-100)]]。</ref>。141861年、13歳の時、パリの海軍予備校に入り、最終しようとするが、試験失敗し、オルレアンに戻ってリセ・ジャンヌ・ダルクを修了した。そして、商船の[[水先人]]見習いとして登録したする3年その後、兵役でフランス海軍に入隊し、2年間勤めた<ref>[[#Mathews|Mathews (2001: 14)]]後、商船に乗って世界中の海を巡る。</ref>。[[1867年]]7月7日、母が亡くなったが、ポールは、数か月後に姉からの知らせをインドで受け取るまで知らなかった<ref>[[#Mathews|Mathews (2001: 18)]]、[[#Perruchot|Perruchot (1961: 44)]]。</ref>。[[1871年]]、23歳の時、パリに戻ると、母の富裕な交際相手ギュスターヴ・アローザの口利きにより、[[パリ証券取引所]]での職を得、株式仲買人として働くようになった。その後11年間にわたり、彼は、実業家として成功し、[[1879年]]には、株式仲買人として3万フランの年収を得るとともに、絵画取引でも同程度の収入を得ていた<ref>[[#Thompson|Thompson (2010: 49)]]。</ref>><ref>{{Cite web|title=The Business of Art: Evidence from the Art Market |url=http://www.getty.edu/art/exhibitions/business/|website=getty.edu |publisher=J. Paul Getty Museum |year=2004 |accessdate=2015-07-20}}</ref>。
 
[[1873年]]、ゴーギャンは、デンマーク人女性メット=ソフィー・ガッド(1850年-1920年)と結婚した。2人の間には、エミール(1874年-1955年)、アリーヌ(1877年-97年)、クローヴィス(1879年-1900年)、ジャン・ルネ(1881年-1961年)、ポール・ロロン(1883年-1961年)の5人の子供が生まれた。